きつね の ねとまり

部屋にかかった時計に目をやると、ほどよく鋭角になった針が見える。
窓の外では近所の街灯が寿命を感じさせる点滅を続けていた。

七志「・・・もうこんな時間か・・・」

「助けた狐が女の子になって居候し始めた。
というきわめてエキセントリックな出来事があっただけあり
普段の休日以上に時間が進むのが早く、気づけばすでに夕食も片付いていた。




七志「・・・あのさ、えっと。狐さん」
いなり「だんな様、せっかく名前をもらったのです。
    ちゃんと名前で呼んでください」


にっこりと笑って返されるとやりづらいのだが。

七志「じゃあ、いなり。狐ってお風呂、入るのか?
   そもそも知ってる?」


普通の狐は水浴びすらしなそうなのだが、目の前の狐は見るからに普通じゃないしな・・・。

いなり「オフロ・・・ですか?もちろん知ってますよ!
    泡だらけになった後にお湯に入るアレですよね」



だいぶ知識に偏りがある・・・というか目的が抜けた知識なのだが。
まあ、風呂を知っていることが分かっただけで安心した。・・・安心?

いなり「せっかく人の姿になったのです、ぜひとも!」

俺から風呂の目的と風呂場の使い方を聞くと、いなりは神妙な顔つきになる。
狐といえどやはり女の子なのだろうか、それとも人化した影響なのか。
彼女は人間と同じく、体を清潔に保つことに関心があるらしい。

それではさっそく、といって服を着たまま浴室に入るいなりを静止した俺は
目の前で服を脱ぎ始めるいなりを再び静止したのだった。
・・・日中から気になっていた包帯の下には傷跡がなさそうで一安心だ






そんなこんなで、すでに夜の9時。そろそろ布団をしく時間だ。


俺が借りているこの部屋は一間を物置にしているため
居間と寝室が兼用になっている。

狐といえど女の子と一緒に布団に入るわけにもいかないのだが、困ったことに布団は一人用しかない。
七志(こんなことなら来客用の布団を用意しとくべきだったかな・・・)

まあ、別に誰か止まる予定もないしな。
学生の頃は家に友達が泊まったこともあったが、社会人になってからは全然だ。

男友達だったら雑魚寝でよかったのだが、相手は女の子だ、そうもいかないだろう。
俺は物置から夏用の布団を引っ張り出し、今使っている布団と組み合わせる。枕は座布団を畳んで使ってもらうことにした。
この季節なら毛布はなくても我慢できるしな。俺の寝床とは枕を逆向きに配置して完成とする。
・・・そういえば北ってどっちだっけか・・・?




いろいろ考えてしまう頭を無理やり黙らせ、時間の感覚が鈍ってきたころ
突如感じたことのない感覚・・・いや、触覚と嗅覚が俺の頭を刺激した。

七志(・・・ん。なんだ、この感じ・・・は・・・)

ふわふわとした感覚の中で、俺が感じているのは
胸の中に納まる暖かさ。
そして鼻先にただよう、ふんわりとしたいい匂い。

七志(・・・まさか・・・)

一瞬にして事態を察して急速に覚めていく俺の目。なんともいえない焦りが俺を襲う。




いなり「・・・・・・くぅ」

案の定、いなりが俺の胸に飛び込んでいた。
ご丁寧に正面を向いた状態で。

慌てて起こそうかと思ったのだが、いざこういう状況になってみると
なんと声をかけていいのか思いつかない。

そして、実際に女の子を抱きしめているとわかったとたん
余計に意識してしまうという無限ループだ、どうするんだこれ。
いやよく考えなくても別に抱きしめてはいないんだけど、この距離は近すぎるだろ。

おそるおそる視線を落とすと、先ほどと変わらぬ・・・
いや、たぶんさっきよりもさらに可愛らしい寝顔が迫っている。
今にして思えば常夜灯しかないこの部屋でそれがよく見えるかと言われれば自信はないのだが
むしろよく見えないからこそそう感じてしまうのかもしれないわけであって


というか、そもそも。
動物ってのは違う環境では落ち着いて寝れないものじゃないんだろうか。
それとも、さっそく俺に心を許してくれた証なのだろうか。

いや、それはそれで早すぎるだろさすがに。

いやいや、それに・・・





・・・




・・・






七志「・・・もうこんな時間か・・・」

昇る朝日と緩く開いた時計の針を見ながら、俺は空き部屋の整頓をする決意をしたのだった。

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