少女「うう・・・ごめんなさい、”おんがえし”のために来たのに、おにぎりまでごちそうになってしまって・・・」
七志「謝らなくていいって、そういう時は”ごちそうさま”でいいんだよ」
少女「は、はい!ごちそうさまでした!」
七志(そういや、この子ちゃんと言葉とか文化を理解しているんだよな)
知識の違いこそあれ、彼女の身のこなしは人間のそれだし
案外、俺たち人間の生活ってのは動物たちに観察されてるのかもしれない。
七志「まあ、恩返しは急いで片付けるものでもないからね」
少女「そういうものですか?」
七志「ああ、ゆっくり考えて、気の向いたときにしてくれたら、それで・・・」
・・・と、つい会話の流れで言ってしまったけど。これってつまり・・・
少女「・・・ということは、お側にいてもいいのですか?」
そうなるよな、やっぱ。
ここまで来たら俺も覚悟を決めて、彼女に向けて口を開く。
七志「・・・そうだな。よろしく頼むよ、・・・えっと」
と、ここまで言って気づいたが、そういえば名前をまだ聞いてなかった。
七志「そういえば君、名前はなんていうの?」
そんな俺の質問に、彼女は「えっ?」というような顔でこたえる。
少女「ナマエ・・・名前ですか?
そうですねえ、ニンゲンの皆さんのような『ナマエ』は・・・特にありませんね。」
なるほど、名前をつける文化自体が人間独自のものなのか。
しかし名前がないとなると不便だな、とこちらもきょとんとした顔になったとき
まだ名前のない彼女から提案を受けた。
少女「そうだ・・・つけてくれませんか?私の・・・ナマエ」
七志「え!?」
突然の提案に固まってしまう俺。
少女「ヒトは家にいるイヌやネコ、はたまたサカナにまで名前を付けると聞きました。
ですから・・・私にも。つけてください!名前!」
そういう彼女の目は期待でキラキラと輝いている。
もしかすると憧れてたのか?名前。
七志「えーっと・・・急に言われてもなあ」
ペットならあるけど、言葉を交わせる相手の名前を考えるのなんて初めてだからなあ。
と、気恥ずかしい気持ちを抱きつつも名前を考える。
狐だから・・・フォックス・・・こん・・・きつ音・・・さすがに雑だな。
部屋を見まわして何かヒントになるような言葉をさがしている俺の目に
さっきのおにぎりの袋が映る。そこに印刷された会社の名前・・・は・・・
七志「そうだ。じゃあ・・・『いなり』っていうのは・・・どうだろう?」
少女「いなり・・・」
最初は不思議そうな顔をしていた彼女だが、徐々に笑顔が広がり、声もぱっと明るくなる。
いなり「・・・はい!なんだか不思議な響きです。私の名前は・・・いなり!」
気に入ってくれたようで、何度も”いなり”を口ずさんでいる。
しばらく小躍りした後、いなりは俺に向き直った。
いなり「それでは、これからよろしくお願いいたしますね。えーっと・・・こういう時のあいさつは・・・」
ほほに人差し指を当て、天井を見上げて考えるしぐさをする。
そして「いいこと思いついた!」とでも言いたげな顔をした後、再び俺にほほ笑んだ。
いなり「ふつつかものですが・・・よろしくお願いいたします。だんなさま♪」
七志「うっ・・・!?お、おう!よろしくね!」
そういえば、俺もまだ名乗ってなかったな。・・・・・・って思ったけど、
それを吹き飛ばすほどのインパクトがあった。今の「だんなさま」ってやつ。
そんな言葉に心を揺さぶられて泳ぐ目線。視線はそのまま窓の外へ逃げていく。
すっかり晴れ渡った雨上がりの空にはうっすら虹がかかっていた。
まるでこの奇妙な共同生活のはじまりを祝福するかのように。
第1話:おわり
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